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Angel Beats! episode.13

「Graduation」
最終回でした

それなりに面白かったけど、感動したかというと残念ながら感動はなかったです
「人生讃歌」ということで評してみると、作品のメッセージは「仲間がいるから、前向きに生きよう」ということに尽きる訳で、これはどちらかというとありきたりだよな~
ありきたりだからこそ普遍性があるともいえますが、それだったら死後の世界を舞台にするのはどうなのか
生きている時間内にあるからこそ、幸せになりたいと強く願い、仲間の助けに感謝するのだと思います
前回ゆりっぺさんが主張したように、一回かぎりの人生だから必死になるわけですよ
輪廻転生を前提にして「前向きに生きること」を説かれても、ちょっと弱いですよね
だって「今が駄目でも次がある」って思いがちじゃないですか、人間って

しかし音無に心臓がないという設定
死んだときに心臓がなかったから、死後の世界でも心臓がない?
じゃあ死んだとき頭が吹っ飛んでいた奴は…
そんなゾンビ世界を想像しました(゚ー゚;

それに音無の心臓をもらって生きながらえたはずの奏が先に死後の世界に来ていたのはずいぶん変な話ですよ
あれですね、音無はイレギュラーな存在だから、死後の世界に転生するのに時間がかかったわけですね
すなわち奏を卒業させるために大いなる意志が働いたということでしょうか
神様の粋な計らいというやつです

しかしラストで音無の告白は唐突でしたね
こいつがまた恋人を待ち続けてNPCになるのかと思いました
諦めて成仏したっぽいですが、本当に成仏できるのか?

それにしてももともと存在したはずのNPCはなぜ消えてしまったのでしょう
例の狂ったプログラマーが死後の世界の様相すらも変えてしまったからなのか
本当になんでもありの世界観です

振り返ってみると、全体的なお話の構成として迷走感が強い印象でした
てゆうかもともと決定していた結末(少女が臓器のお礼を言う)から逆算的に展開を敷衍して、できるだけ遠い地点からお話を語り始めたんでしょうかね
ヒロインのはずのゆりっぺさんの存在感が微妙だった原因はそういうことかもしれない
なにより第一話を見たときに感じた高揚感が、あらぬ方向に進むにつれて萎んでいったことが残念でなりませんでした
まあ、それでも天使ちゃんが可愛かったことですべてを帳消しですね
天使ちゃんマジ天使!

元記事はこちら
http://mossy.moe-nifty.com/brilliant_corners/2010/06/angel-beatsep-3.html









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Angel Beats! episode.12

「Knockin' on heaven's door」
う~ん、超展開(^-^;

愛ですか…

なんかもうお話についていけない
ゆりっぺさんは自己解決しちゃうし

前回この世界はやっぱり電脳世界ではないのかと推測しました
脚本の人がそれを否定しているとのことですが、いまのところお話の中で「この世界が電脳世界でないこと」が描かれてはいません
てゆうか死後の世界かどうかも不明だし
結局、世界の内側にいる人間は、その世界がどういう世界か知ることができないような気がします
マトリックスじゃないけど、現実そのものが電脳世界でない証明って不可能なのかも

なんでこんなことを考えてしまうかというと、このお話は異世界観が非常に強いからです
虚構の物語であるから、どんな設定もありなんだけど、あまりに現実から離れていると荒唐無稽とか言われたり、まあ荒唐無稽であること自体は別に欠点というわけではないので構いませんが、読者(視聴者)は誰でもそれに順応できるわけでなく、私自身もちょっと素直に受け入れられないです

逆に共感できる部分は、ゆりっぺさんが夢(?)の中で楽しい学園生活を送っても、やっぱり自分の人生(たとえどんなに理不尽でも)にこだわりたいと主張するシーン
人生の一回性ですね
だからって神に責任をとらせるゆりっぺも変ですが
たまに前世の記憶とかある人がいますが、たいていの人は一回限りの人生でしょう
少なくとも人間の精神は輪廻転生するものでなく、生成され消滅していくものだと思ってます

ただこの物語はゲームのリセットやりなおしみたいな輪廻転生を前提としている様子ですね
それはちょっと付いていけないな~
でも、この原作者が支持されているのは、そういうのが好きな人が多いってことですよね
人間消えて無くなりたくないという気持ちにフィットするんだろうな
そのへんに宗教性が感じるんですが(笑
あ、別に宗教的であること非難してるんじゃないですよ
無宗教的な生活をしていても、人間って宗教的なものを自然に求めるんだな~という感慨です

さて次回が最終回っぽいですが、結局この世界はなんだったんだろうという謎ばかり残して、かといって人物がよく描かれているわけでもなく、なんとなく卒業式っぽい感動でまとめられてしまそうで心配しております

元記事はこちら
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Angel Beats! episode.11

「Change the world」
やっぱり電脳世界なの?

どう考えても、本物の死後の世界だったらパソコンからアクセスできないと思います
まあ結果的に電脳世界のお話だったら、それはそれで結構ですが、いままで扱ってきた理不尽な人生のリアリティはどうなるんでしょうか

理不尽で報われる事なく人生が閉じられたからこそ、視聴者の涙を誘ったのではないですか?
まだ死んでないのだったら、これから幸せな人生を送る可能性やチャンスだってないわけではありません
諦めるのは早計であり、また愚かな選択かもです
そうなると、この電脳世界は自分から幸せになる努力を放棄した、所謂落ちこぼれを矯正するためのプログラムなのか

予想外の展開、というのは褒め言葉のはずですが、このアニメの場合、意外な展開で物語の軸がぶれているというか、先の読めないことで物語世界が揺らいでいる印象があります
なんというか、いろんな要素を詰め込んで身も蓋もないような
物語が終結したときに、がっかりしてるんじゃないかと心配になってきました

電脳世界から消えることが、現実に戻る事だったら、現実世界を忌避している者にとっては、それは恐怖かもしれない
あるいは消えることが文字通り自分が消滅するのだったら、それは完全な恐怖でしょう
物語のキャラが、この異世界を電脳世界と捉えているか、死後の世界と信じているかで解釈は異なってくるはずで、そのあたりが曖昧ですが、いずれにしろ恐怖心というのは、実はかなり生のエネルギーじゃないかと思います
だって死にたくない、って思うほど必死に生きる訳ですから
実りのある豊かな人生を送るには、それに見合うだけのエネルギー、活力が必要です
そうしたエネルギーを蓄え、建設的な方向に導くための治療プログラム、それがこの電脳世界なのか
ちょっとありきたりですね
もう少し捻って欲しいです
そういう期待を込めて最終回までおつきあいしたいと思います


元記事はこちら
http://mossy.moe-nifty.com/brilliant_corners/2010/06/angel-beatsep-1.html









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Angel Beats! episode.10

「Goodbye Days」
切なさ一杯のラブロマンスでしたね~
ギャグキャラが一転ラブヒロインに!
日向の突然の告白も驚きましたが、お話としてはよくまとまっていたと思います

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プロレスやってもおぱんつ見えない鉄壁のスカートに泣いた

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ギター抱える天使ちゃんがむちゃ愛らしいです

音楽、プロレス、サッカー、野球とユイの望みを叶えようとする音無
よけいなお世話と不審に思う様子もなく、つきあうユイも自分の夢を実現させたい気持ちが強いのでしょう

この世に人として生を受けた以上、必ず幸せになりたい
誰もがそう願う事は当然でしょう
しかしながら幸せな人生を送れなかった人がいるものこの世の理
そうした報われなかった魂を救済する世界のドラマ
とても人をやさしい、心地よい気持ちにさせる物語だと思います

ただ、それを素直に賞賛できない自分がいる
クラナドもそうでしたが、この物語もここまでの展開から感じられる事は、この世界は(死後の世界も含めて)愛に包まれている、という明確な主張です
暗黙のうちに人々を救済する神の存在を匂わせ、さらに互いを助け合う人間の善意を肯定する明るい希望に充ちた世界です

どうして自分はそれを素直に受け入れる事ができないのか
それはたぶん、この物語が心地よすぎるからです
物語として演出された心地よさが、その対極にあるもの、つまり不安や恐怖、絶望への反動に感じられるからです

救いのある物語が支持されるのは、それが救いのない世界で語られるからでしょう
苦しい時代に誰もが切望する理想郷が描かれれば、それに心を癒されるのでしょう

でも希望を与える物語が、現実の辛さを支えきれなかったら、それは物語としての強度が不足していることになります
残念ながら、現実を生きている自分の生の苦しみや死の不安を投影するには、この物語は安易な世界を描いていると断じざるを得ません
もちろんフィクションとして楽しむことはできますし、この物語を否定するわけではありませんが、心からの感動を呼び起こし、熱狂的に支持できるとは思えないのです
その原因は、前述した「絶望への反動として過剰に演出される心地よさ」にあります
それはすなわち人間の感情を誘導する仕組みから成り立っていると思われます
この物語は宗教を扱っている訳ではありませんが、世界観の設定などに人々が宗教に求めるような感情的なものを巧みにアレンジして語っている部分があるような気がします
宗教をまったく否定するわけではありませんが、すくなくとも宗教には感情に訴えかける反面、理知のところどころ欠落を感じられるので、この物語に対する不満も、現実(死後の世界を含めて)への理知的なアプローチがなされてないことです
死んだら、どうなるの?
神様はいるの?
自分はなぜ生きているの?
こうした普遍的な問いかけに理知をもって答えてほしい
それはこの物語に求める事ではないのでしょう
でもそれが自分が望むことなのであります

なんか勢いで真面目で固い文章になってしまいましたが、「天使ちゃんマジ天使(*´ェ`*)」とか喜んでいる自分がいるのも、また事実なんですよ

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http://mossy.moe-nifty.com/brilliant_corners/2010/06/angel-beatsepis.html









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Angel Beats! episode.09

「In Your Memory」
音無の記憶が完全によみがえり、物語は新たな展開を迎えました
それとともに異世界の謎もほぼ一掃されましたが、なんというか、えらくストレートで、いろいろ考えた自分がアホのようです

青春時代に理不尽な経験をした者たちがその魂を癒すために集められた世界
そのものズバリで、いままでゆりが主張していたことを別の言葉で言い換えたようなものです
つまりどんな悲惨な人生であっても、人生そのものに意味があり、価値があり、ただ不幸にして生前そのことに思い至らなかった若者に、人生に未練を持たず昇天するために神の慈悲が施されている訳です
天使ちゃんマジ天使だったわけですね
不器用で無垢な天使ちゃんがラブリーすぎて、こちらが昇天しそうです(*´д`*)アハァ

ゆりは結局もっとも昇天しにくい人間ということで別の意味でラスボスでしたね
あと先週あれだけハラハラさせた天使ちゃんの危機が、なんつーか単なる「引き」だったのがどうもね
あんまりこのお話に物語構成の妙味を求めてはいけないようです

ところで本来なら音無はこの世界に来るはずのない人間だっただろう
限られた時間で自分の生の充実を噛み締めて生き抜いたはずだから
そういうイレギュラーな存在がこの世界に差し向けられたこともまた、神の采配なんだろうけど

そもそも絶対者としての神が采配を振るえるなら、わざわざこんな世界を用意しなくても、すべての人間を一発で迷いなく成仏されられるはずだけど、それを言ったらおしまいか
それにまた直井の催眠術で強制成仏されられても結果オーライな気もする

最終的に原作者が示そうとする「生」の意義を語るには「死」をどのように捉えているかの問題だろう
人間の死後に意識や魂は残るのか?
もし何も残らないのだったら、理不尽な人生の記憶も含めてすべてが霧散するわけで、それは同時に「生」に対するニヒリズムでもある
ニヒリズムといっても、生きる行為を否定するのではなく、それは「素晴らしい人生」「惨めな人生」といった価値感を破壊するものだ
生きてさえすれば、いつどのように死んでもオッケーという仏教的な死生観
では反対に人間の死後に意識や魂が残るのだったら、死後の世界から「生」が肯定されて、人生に意義が与えられる
神による断罪と魂の不滅を訴えるキリスト教的世界観
「死んでいるのに成仏できない」というこの世界を原作者が設定したのは、上に挙げたような旧来の死生観と、どのような違いを描いてくれるのか、ちょっと興味ある









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